杜の都仙台と日本三景・松島をゆく

東日本大震災からもう少しで一年が経とうとする仙台に出かけた。一日も早い復興を願うひとりとして、一人でも多い観光客を誘致したいという地元の言葉に招かれるように仙台駅に降り立った。
奥州一の城と、日本一の都を造り上げる夢を、仙台の青葉山に託し、城を築き、城下町を創った伊達政宗公から400年、東北一の都として繁栄する都市。ケヤキ並木の大通り周辺には高層ビルや幾筋ものアーケード街が続く。
仙台駅前から真っ直ぐ延びた青葉通りの並木の先には伊達の美学、こだわりといわれた伊達文化を残した建造物や、堅固でありながら優美な石垣、再建された廟屋など伊達家の遺産を観ることができる。
一方、太平洋に面した松島は、津波の被害も大きかったとはいえ、無数の島に守られていたという立地条件もあって、同じ海岸線でありながら復興も早い。すでに地元の人々の努力で観光地は立派に立ち直り、大勢の客を迎えていた。

<コース>
仙台−(国道45号線)−松島海岸−(県道229号線)−東松島−(国道45号線)−(県道398号線)−石巻港−東松島−松島−仙台
行程 約120km
<赤いドライブルート付近のマーカーをクリックするとその項目にジャンプします>
●仙台城址
青葉山にある平山城で「青葉城」ともいう。慶長(1596〜1615)間に伊達政宗によって築城され、明治の廃城令までの約270年間、伊達氏の代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。藩の領地は、主として現在の宮城県全土と岩手県南部北上市、及び福島県の一部と広い地域を治めていた。その仙台城は江戸城に次ぐ大きさを誇り、全国でも最大級の大きさであった。
廃藩置県・廃城令で大半が失われたが、大手門、脇櫓、巽門などが残り旧国宝に指定されていた。しかし、太平洋戦争の仙台空襲によってすべてを焼失した。唯一残った巽門も戦後駐留した米軍によって破壊された。現在は江戸時代の城の遺構は、三の丸あたりに残る長沼および五色沼と呼ばれる水堀や石垣など僅かだ。
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 城壁と仙台市街
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 青葉城内の護国神社
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 青葉城の象徴、伊達政宗騎乗の像
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 「荒城の月」作詞者、土井晩翠の胸像
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現在仙台城址は「青葉山公園」として整備されており、二の丸跡には東北大学キャンパスが、三の丸跡には「仙台市立博物館」が建つ。また本丸には護国神社が建つ。
城跡らしい一つの建物、大手門脇櫓は昭和42年(1967)に民間の寄付により外観復元されたものである。本丸脇に建つ騎馬姿の伊達政宗像は昭和37年(1962)に建立されたもの。この像の広場からは仙台市内が一望できる人気観光スポットだ。
近くには「荒城の月」の詩の作者土居晩翠の胸像が建つ。明治4年(1871)仙台市青葉区に生まれ、後の東京大学英文科を卒業、高校の英語教師となった。荒城の月は、青葉城を詠ったものといわれている。
/問い合わせ 仙台市教育委員会文化財課、TEL 022-214-8544
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●瑞鳳寺
仙台城(青葉城)の東、経が峰の中腹にあり、瑞鳳殿の入り口に面している。伊達家の菩提寺。山門は東京品川(今の大井)にあった仙台坂の伊達屋敷の門を模したもの。
案内板によると「当山は藩祖政宗公の菩提寺として寛永14年(1637)2代忠宗公によって創建された御一門格寺院である・・・」、梵鐘は忠宗公の寄進によるものであり、本堂の前、冠木門は3代綱宗公の側室椙原のお品邸にあったものだと書かれていた。
境内には殉死した家臣の墓碑や、戊辰戦争、西南戦争の戦死者の墓碑がある。
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 伊達政宗の菩提寺として 2代・忠宗が建立した瑞鳳寺
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 瑞鳳寺本堂
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 本堂前に置かれた梵鐘は 寛永14年(1637年)鋳造の重文
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●瑞鳳殿
寛永13年(1636)、70歳で生涯を閉じた伊達62万石の藩主、伊達政宗の霊屋(墓所)。桃山様式の廟建築としては豪華絢爛な建物であり、旧国宝に指定されていたが、仙台城(青葉城)同様に昭和20年の空襲で焼失。現在の建物は昭和54年(1979)に再建されたもの。しかし、平成13年(2001)に改修が行われ、柱には彫刻獅子を、また屋根には竜頭瓦が復元され、創建当時の姿となった。
廟への入り口は「涅槃門」をくぐる。涅槃とは、煩悩を払い悟りの境地に入った状態といい、来世という意味でもあるという。
江戸時代のままの豪華な飾り彫刻が施されている涅槃門を入ると、漆黒に黄金の扉、赤や青の原色の梁、彫刻に彩られた極彩色の建物に思わず目を見張る。漆黒と原色を好んだという伊達のこだわりととも伝えられる政宗らしい廟屋だ。
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 伊達政宗の霊屋、瑞鳳殿への階段。 伊達62万石にちなみ62段ある
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 瑞鳳殿入口
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●瑞鳳殿資料館
戦災で焼失した廟屋の再建される際、発掘調査が行われた。廟跡からは完全な形をとどめていた遺骨とともに、武具や文具など多くの貴重な副葬品が見つかった。漆黒葛蒔絵箱や糸巻太刀、兜や金製のブローチなどは仙台市立博物館に保存されているが、資料館には政宗をはじめ、二代忠宗、三代綱宗の三藩主の遺骨から復元された容貌像などが展示されている。
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●感仙殿
政宗廟涅槃門を出て、戊辰戦争弔魂碑の前を通ると、瑞鳳殿に対峙する山中に二代藩主、伊達忠宗(1599〜1658)の廟屋「感仙殿」と、三代藩主綱宗の廟屋「善応殿」がある。ともに焼失した後、昭和60年(1985)に復元され、平成19年(2007)に改修され、以前の廟屋と同じ造りになった。
2つの豪華な廟に隣接する墓所は、伊達三代藩主の廟とは、あまりにも質素な墓石だけのものがある。九代藩主周宗と十一代藩主斉義夫妻の眠る妙雲界廟や五代藩主以降歴代藩主公子公女の墓域、御子様御廟などもある。
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 二代忠宗を祀る感仙殿
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 三代綱宗を祀る善応殿
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伊達の藩主廟(瑞鳳殿)への道は焼失を免れた樹齢約370年の杉の並木に続く石段が62段あり、伊達家の禄高62万石を表したものといわれている。
/拝観料550円(資料館も含む)、TEL 022-262-6250
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●大崎八幡宮
大きな朱色の鳥居、鬱蒼とした杉木立の中、幅が広く長い石段が続く。その上には豪壮にして華麗なる桃山建築の社殿が建つ。慶長6年(1601)仙台藩伊達政宗公が、京都・大阪・和歌山などから当時の一流の工匠を呼び寄せて造らせたという安土桃山時代の遺構を偲ばせる建造物で、国宝指定されている。
総黒漆塗りに極彩色に彩られた彫刻は、太平洋戦争の戦火を逃れ、400余年の歴史の重さを持った社殿だ。この社殿の造営に当たった大工の棟梁、刑部左衛門国次は、後に『左甚五郎』と呼ばれた人物という。
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 大崎八幡宮
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 絵馬、おみくじに願いを込めて
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 三の鳥居を過ぎるとかやぶき屋根の 長床(重文)に出会う
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 捧げられた農作物
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御社殿前に建てられている長床は対照的にとても質素な素木造りで、彫刻や組物などは控えめだ。建築年は不明だが、社殿と同時期に建てられたようである。これは社殿をより神格化させるという演出効果だといわれている。別名「割拝殿」と呼ばれ、当時は一般に人々はこれから先へは入れなかったのでないかとも考えられている。
旧仙台藩領内には、神社の境内にこのような長床(神社山門)が多くあるという。この大崎八幡宮の長床の建築は宮城県最古のもので、国の重要文化財に指定されている。
/社務所、TEL 022-234-3606
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 御社殿(国宝)
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 御社殿正面の飾り
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●松島
「松島や、ああ松島や…」(芭蕉の作ともいわれていたが、実際は江戸時代後期の狂歌師、田原坊の作とされる)。芭蕉も絶句するほど称賛した松島湾の風景は、日本三景の一つ。その海岸線から長い参道の奥にある瑞巌寺は、伊達政宗の菩提寺である。どちらも松島の観光スポットである。
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昨年の東日本大震災で松島も被害を受けた。瑞巌寺周辺の海岸も津波による被害は大きかったが、他の地域に比べると幸いにも小さかったという。それでも海岸線にあるみやげ物屋や観光客の多くは津波を避けて瑞巌寺へと避難して難を逃れたと、地元の人が話してくれた。
商品は流され、泥だらけになったという食堂もみやげ物屋も人々の努力によって復旧し、観光船も就航していた。
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 塩竃への道から脇道へ入った
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 湾を見渡す岬もあった
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 芭蕉は道標でも 大いに活躍
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 蛎殻はリヤカーで処理場へ運ばれる
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 焼いて貰って一個100円
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●瑞巌寺
天長5年(828)慈覚大師の開基と伝えられる古刹で、東北屈指の禅寺で、伊達政宗の菩提寺でもある。戦国時代には寺は荒廃したが、政宗が5年の歳月をかけて再建した。
正面39m、奥行き約25m、入母屋造りの本瓦葺き、10の部屋からなる本堂は、欄間の彫刻や障壁画の豪華な色彩は桃山文化の粋を集めた建築だ。だが、現在は平成21年から7年間の大修理期間で非公開だ。
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 瑞巌寺への案内
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 総門から参道を見る
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 庫裡(国宝)
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 樹齢800年の夫婦ケヤキ
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本堂から回廊で続く庫裡(禅宗寺院の台所)が一般公開されている。正面約14m、奥行き約24m、大屋根の上には煙出しが載っている。
内部は実用本位の建物でありながら、唐草や花肘木の彫刻が施されている。本堂及び庫裡は共に国宝である。
/拝観料 700円、TEL 022-354-2023
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 修行僧の籠もった洞窟群が続く
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●五大堂
松島港に浮かぶ小さな島、朱塗りの小さく短い橋がかかるところにあるお堂。坂上田村麻呂が大同2年(807)毘沙門堂を建立したのがはじまりで、後に慈覚大師が五大明王を祀ったことにより五大堂と呼ばれるようになった。
現在の建物は慶長9年(1604)伊達政宗が瑞巌寺に先駆けて再建したもの。
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 五大堂(重文)
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素木の宝形造りで、十二支の彫刻がある。東北で現存する最古の桃山様式の建物である。(国の重要文化財)五大堂から東側に見える朱色の長い橋は、福浦島へ渡る徒歩のみの観光用橋だ。また西側には松島という地名発祥の地といわれる雄島がある。仏像、法名などが彫られた岩窟など知られているが、昨年の大震災の影響で島には渡れなかった。
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●奥松島
津波被害を大きく受けた奥松島へと足を延ばした。県道27号線を太平洋沿岸へ出ると、分厚いコンクリートの堤防が無惨にも砕かれ、津波に荒らされた一帯に形だけ残ったかんぽの宿松島の建物だけが大きく目についた。そこから松島湾の入り口に構える周囲4km四方の島、宮戸島へ渡る。
宮戸島は縄文土器や石器などが多数出土したという人類にとって住みやすいところ。しかし、幾度となく地震や津波に襲われてもいる。溺死者1,000人も出したという貞観11年(869)の津波の教訓として、島の中央には当時の津波の高さを示した石が置かれている。今回も、この石のお陰で島民の命が守られたと、高台にある観音寺の住職が教えてくれた。
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 仁王島
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 日本人初の世界一周者 多十郎の墓と渡辺住職 (宮戸島・観音寺)
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また、ここには日本人で、はじめて世界一周した人の墓がある。寛政5年(1793)石巻港から出港した船が難破。オホーツク海からロシアへ。その11年後、病死や帰化した人を除き4名は西まわり希望峰を経て帰国した。その内の1人の墓が観音寺にあった。
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○ニッポンレンタカーの車種・料金
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- 仙台市のオフィシャル観光情報サイト。観光スポットやライブカメラなどのほか、動画やブログへのリンクもある。
- ・電脳松島絵巻−松島観光協会
- 松島のみどころや観光協会のおすすめコース、お散歩マップなどが見られるほか、お得な連泊プランも紹介。
- ・石巻観光協会
- 石巻市の観光スポットや観光モデルコース、さらにユニークな「マンガスポット」などを紹介している。
取材:2012年1月
※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。
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